「知への欲求」が生まれたのは修行時代かもしれません。
知らなかったことを知る喜び。知らないことの悔しさ。「もっと知りたい、もっと勉強したい」と初めて心の奥の方から自分が望んで生まれてきた感情。
よくよく考えてみると、親に上手く育ててもらったおかげなのかな?
そう、上手く育ててもらったというのは、親が褒めて育ててくれたのかも。覚えてないけど。
もしくは褒められてないから、本当は「もっと褒めて欲しい」と心の奥で欲しているのかも。
そんな「もっと褒めてもらいたい」という邪道な気持ちが奥底にあって、そこに人に喜んでもらいたいとか使命感とか自己顕示欲とか、もの作りの楽しさとかいろんなものが複雑に絡み合って、「もっといい庭を作りたい」という欲求に繋がっているような気がします。
いろんな欲求の中でも僕にとって「いい庭を作りたい」というのは自分の中のかなりの多くの部分を占めている欲求。何を考えていても結局庭つくりに繋がってしまう。
単純に考えれば、庭も植物も好きで好きでしかたがないって感じもするし。
1日のうちの大半。そして1年のうちの大半を庭のことばかり考えているから病気に近いのかも。
仲間の中にはその「いい庭つくり」をするためにお茶を習ったり、お花を生けたり、創作活動にいそしんだり、コンペに参加したり、技術を磨いたり。
磨き方はイロイロあるけど、みんなが切磋琢磨して努力しています。
僕なりにいろんなことを勉強したり、行き詰ったり、悩んだりでここに来て今一番やりたいことは建築を学ぶこと。庭作りを考えれば考えるほど、建築のことを知りたくなるし、好きになる。
庭は人と建築と街。そして過去と未来を繋ぐものだと想います。
そして庭師は建築家ともお施主さんともしっかり建築と庭との関係性を一緒に作り出す力をつけていかなければ、存在意義が危ぶまれる位置にあるのだと感じていました。
ということで・・・今日から一年間、週に一度、職業訓練校?の2級建築士受験講座に通ってきます。
そうは言っても、先生は試験を通すためのテクニックや問題を教えに来ていて、受講生は試験に受かるための授業を受けに来ているから、講義の内容はぜんぜん物足りない・・・。
ただ建築のことをもっと知りたい、勉強したいという僕は異物のよう・・・
しかも受験資格が厳しくなって(耐震偽装以来)、高校の普通科卒業の僕には受験資格さえ与えられていないのだから、どうなってんの?
まあ資格なんてあってもなくてもこっちは気楽に一年間授業料払って勉強させてもらいます。
週に一度の楽しみが増えました。