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2010年 01月 29日

7つの社会的犯罪

今日、鳩山総理大臣が施政方針演説でガンジーの唱えた7つの社会的犯罪の名言について触れました。

「 哲学なき政治

  労働なき富

  良心なき快楽

  品格なき学識

  倫理なき商売

  人間性なき科学

  献身なき信仰  」

実践の人。ガンジーの言葉だから心に染みるのです。

鳩山総理のお人柄、本心を知らない人間が彼を語る資格はないのかも知れません。
だからこそ注意深く今後の政治を見守っていかなくてはならないでしょう。
しかし、言葉には言霊と言われるように魂が宿るもの。
心に響かないのは受け取る側に問題があるのかも・・・?それとも魂が宿っていないのか?

そうだとしたら一国を担う政治家の上辺だけの言葉にこの国の将来を憂います。

家族の形、会社の形、国の形、世界の形はそこに住む住人の作り出すもの。

かの、マザーテレサはおっしゃいました。
「愛の反対は憎しみではなく無関心です」。

実践の人だからこその言葉ではありますが、無関心ほどの罪悪はありません。
せめて関心を持って考え、選挙で自分の意思を表さなくてはなりません。
そんなことを考えさせられる施政方針演説でした・・・
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by sanrakugarden | 2010-01-29 21:26 | Comments(0)
2010年 01月 28日

樹木探し

今日の松本は久しぶりに暖かく、朝からあいにくの雨。
石積みが出来ないので、春から植栽に使う樹木を材料屋さんに探しにいきました。
写真の木はミツマタ
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来春咲かす花の蕾がたくさん付いています。
植物たちは春に向けてちゃくちゃくと準備を整えています。

石積みもだいぶ進んできました。
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by sanrakugarden | 2010-01-28 18:03 | 仕事日記 | Comments(0)
2010年 01月 25日

世界の子供にワクチンを

JCV 世界の子供にワクチンを 日本委員会に寄付を始めて2年が経ちました。
月々わずかな額ですが、途上国では微力になれているようです。

次男が生まれた時に、健康に生まれてくれたことを感謝して始めました。

正直な話、海外にまで出かけて支援をされている方々にスゴイと思いつつも、疑問も感じていたこともありました。日本にも困っている人々が沢山いて、ましてや身近に困っている人々に手を差し伸べてから、海外のことをやっているのだろうか?と。

しかし、そんなこと、どうでもいいことだと、JCVの活動を知ってから思いました。

緊急性の問題です。
この世に生命を受けて、国境が命の境目になっているのは間違いない事実。
子供たちには何の罪もありません。一人でも多くの子供が、医療を受けられることを願います。
国や政治、宗教は関係なく、世界と思いやりで繋がる。

社会主義も共産主義も民主主義も自由経済も結局は上手くいっていない。宗教さえも摩擦を生む。
偉い人、有名な人が決して立派な人ではない世の中。

結局、世の中をよくすることは、強いものが弱いものを助け、持てる者が、持たざる者を助ける、出来る人が出来ない人を助ける思いやりしかないのでしょう。
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by sanrakugarden | 2010-01-25 21:06 | Comments(0)
2010年 01月 25日

新年会

24日は樹木医会長野県支部の新年会、研修会がありました。
いつも、樹木医会に参加すると、新しい知識、経験談、刺激をいただき充実した時間を過ごせます。
一人の力はたいしたことがなくても、「3人寄れば文殊の知恵」ではないですが、いろんな方の得意分野の深い考察を持ち寄ることで、大きな力になります。

来年は長野県で樹木医の全国大会が開かれる予定があります。
そこで、樹木医ネットワーク松本の活動報告をする機会がありそうなので、今年は準備の年。これも勉強!楽しみです。

長野県は今年も新たに5人の樹木医さんを迎え、総勢56人の大所帯になりました。

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by sanrakugarden | 2010-01-25 06:56 | 樹木医 | Comments(0)
2010年 01月 21日

石積み

松本市の史跡庭園の池に水を引き込むための用水路(池)の護岸改修工事は基礎になるコンクリートの打設も完了し、いよいよ25mの石積み工事が始まりました。
既存の石積みがあまりにも雑なので、積み方をどうしようか?まさか既存の石積みに合わせるのも気が向かない。
迷いましたが、後々まで残るものなので、修景を考慮して野面積みにすることにしました。
お客さんからは「適当でいいよ」。と言われるのですが、職人とすれば適当なものを残すことは大いにためらいます。
コストを掛けられないので、空積みというわけにはいきません。手間を掛けられない仕事ですが、めったにない石積みの仕事なので大いに楽しんで積んでいこうと思います。

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by sanrakugarden | 2010-01-21 14:02 | 仕事日記 | Comments(0)
2010年 01月 18日

大の司馬 遼太郎ファンなのです。「竜馬がゆく」全8巻をあまりの面白さに3回読んで、「坂の上の雲」8巻もあっという間に読んでしまいました。それからというもの幕末の本を買っては読んでいるので、長州・薩摩・土佐といえば憧れの地。いつか行きたいという夢がまずは明治維新胎動の地、萩(長州)から叶いました。

まずは早起きして江戸屋横丁から菊屋横丁までの城下町を散策

いきなり、木戸孝允の旧宅が現れます。
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早く行き過ぎて内部は見られませんでした・・・

高杉晋作誕生の地、晋作が肝試しをしたり伊藤博文が小僧として預けられた円政寺、田中義一生誕の地など歴史上の人物が目の前に居るような錯覚と感動を覚えます。かなり興奮!

そして菊屋家住宅
毛利輝元が関ヶ原の戦いの直後 慶長九年(1604年)輝元の萩入国に従い、現在地に屋敷地を拝領して家を建てた。また城下の町割りに尽力し、阿古ヶ浜には藩士や足軽衆のための家を建てて住まわせたので、それより世上阿古ヶ浜を菊ヶ浜と称するようになった。その後、菊屋家は代々大年寄格に任命され藩の御用達を勤めたという大商家です。

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建物の美しいこと。特に母屋の漆喰塗りの壁は見事です。
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萩を訪れたら、菊屋家住宅は外せません。

次は萩博物館へ。道すがら萩の土壁の瓦の美しさにうっとり。薄さが何ともいえない味わいです。
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博物館では学芸員の方にかねてからの疑問「なぜ、萩にはこれだけの美しい町並みが残ったのか?」
「この地から、明治から昭和にかけてあれだけの偉人が現れたのか?」を訪ねました。

まずは「よく見る、よく聞く、よく話す」
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「見ざる、聞かざる、言わざる」は日光東照宮で見ましたが、長州の教育熱は非常に高く、また当時萩という所は僻地でもあったため教育方針が特に他国(他藩)を良く見て、良く聞き、それを皆に伝えるということを徹底されていたそうです。まだ鎖国をしている最中にイギリスへ長州藩が精鋭を留学させているくらいの熱の入れようです。その連綿と受け継がれてきた風土の中から必然というべき人達が維新の原動力となり、日本の基礎を作り上げてきたことは間違いありません。

そして、町並みが残ったのは
ひとつは夏みかん。今も城下町には夏みかんがあちらこちらに植えられて景色を作ってくれていますが、その当時大変な貴重品であったため、毛利家で推奨して武家の食い扶持の足しにしていたそうです。
毛利は関が原で徳川方にはつかなかっため、禄高を減らされ、萩に追いやられたため家臣を養うたのも必死だったそうです。
夏みかん5個で米1升と交換されたというのですから驚きです。
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その大切な夏みかんの苗木を守るため潮風の厳しい萩では土壁を壊すことなく、町並みとして残されていたということです。昭和30年を境に夏みかんの需要は急激に衰退していったそうです。
時を同じくして衰退していった産業。そう炭鉱です。
炭鉱での仕事は過酷な労働条件で、体力やビタミンを補うため夏みかんは重宝されていたそうです。
そういえば、昔は給食にも出たなぁ・・・酸っぱくて苦手だったけど。

その2は湿地だったということ。
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川や海に挟まれているためなのか?中心地に近い部分は湿地のため、なかなか土地利用が進まず、技術が追いついてきた第2次大戦後くらいから高度成長期にかけて作られた新しい商店や町並みはその湿地だった中心地に作られ、旧城下町は開発を逃れたということ

その3は
明治以降、鉄道網が敷かれた際に、街の中央に鉄道を通さなかったこと。
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その4が
第2次大戦の爆撃から逃れたということ。
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アメリカの公文書が残されていて、爆撃を予定していた180の都市の中で爆撃を逃れた都市が青字で記載されています。157番目に萩、66番目に松本がのっています。
同じ爆撃を逃れた城下町。それにしても松本の町並みは萩を思うともったいない気がします。
そして、京都、広島、新潟、小倉は爆撃の禁止を定められていたということ。
そもそもの原爆の投下予定地であったため、焼夷弾で町を焼いてしまうと、原爆の効果の検証が出来ないため爆撃を禁止されていたのですが、投下予定日の天候不順もあり広島と長崎に投下されたということを知りました。
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萩の人々は、分からないことを尋ねるととても親切に教えてくれます。いろんな街を尋ねましたが萩ほど人を迎える気持ちの温かい街は初めてでした。街や歴史に誇りを持っていらっしゃることを感じました。そして街中を迷わず周れるような工夫も随所に見られ観光都市を見習うならこういうことが大事なんだと勉強させられます。

もうちょっと続きます。
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by sanrakugarden | 2010-01-18 17:59 | Comments(0)
2010年 01月 15日

Grand Toit

出雲から特急で約2時間益田市の島根芸術文化センターGrand Toit(グラントワ)です。
内藤 廣建築設計事務所の設計。大好きな建築家です。

駅に着くと雪混じりの寒風。グラントワまで歩いて町並みを見ようと思いましたがあまりの寒さに断念。
グラントワは「島根県立石見美術館」と「島根県立いわみ芸術劇場」の複合施設です。
それにしても規模の大きさにビックリ!
敷地面積36,000m²、延床面積19,000m²、コンクリート32,500m³、鉄筋4,400t、型枠面積132,000m²だそうです。

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総鉄筋コンクリート造りの建物を、光彩を放って覆っているのは石州瓦です。屋根瓦12万枚、壁瓦16万枚。極めて耐候性の高い石州瓦が、雨風から建物を守っています。壁にこの素材を使うのは全国でも初めてだそうです。

内部は石州瓦と絶妙な組み合わせの色合いの床敷き(立っている木は分かるのですが、製材された木は名前は分かりません・・・)
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巨大なコンクリートのいわみ芸術劇場。巨大すぎてカメラに収まりません。
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中庭の水鏡がとても美しいです。
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内藤事務所の設計にはいつも感嘆のため息が出ます。
しかし、建築家の頭の中はどう?なっているんでしょう?
想像力とそれを形にしていく根気。恐れ入りました。

せっかく楽しみにしていた石見美術館の企画展「疾走する日本車」は休館のため見れませんでした。残念。
次回は萩です。
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by sanrakugarden | 2010-01-15 21:01 | Comments(0)
2010年 01月 13日

出雲 続き

日御碕の後は島根県立出雲歴史博物館です。槇総合計画事務所の設計です。
出雲の奥深さがこれでもか!と展示されています。

圧巻は大社境内から平成12年に発見された、「宇豆柱(うづばしら)」 3本の巨大な柱を組み合わせて使われていたということで、その柱の寸法、配置から古代の本殿を復元した模型があります。
カッコイイ!!現代にぜひ蘇らせていただきたい。
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博物館の建物はなぜ?出雲に?この建築なの?と思ってしまいました・・・これは個人的な感想。
銅鐸や銅剣などの出土品は必見です。

次は大社駅
大正13年に改築されたものです。
宮殿風造りのこの駅舎は、全国でも珍しい神社様式を取り入れた格調ある木造建築。
この大社駅は、平成2年3月いっぱいのJR大社線の廃止とともに、駅としての使命を終えたそうです。
こちらも何とも素晴らしい!文化財として残して頂いたことに感謝です。
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次は出雲文化伝承館
出雲地方特有の築地松(ついじまつ)に囲まれた敷地には、出雲平野の大地主であった江角(えずみ)家の母屋と長屋門、庭園を移築したほか、松平不昧公(ふまいこう)が愛用した茶室「独楽庵(どくらくあん)」と露地、現代数寄屋建築の茶室「松籟亭(しょうらいてい)」、文化財や美術品の展示施設、そば処があります。

出雲に来たらどうしても見たかった築地松。出雲に吹き付ける大陸からの強風を味わって、なるほど!家を守るために大きな風除けが必要な理由が分かります。初夏と秋が訪れるなら気候もいいでしょうが、やはり厳しい冬を体験することをおススメします。
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しかし建物の素晴らしいことに感動です。本当にカッコイイ。
棟瓦の代わりに前述の来待石が使われています。腰壁も。こんな蔵は見たことがありません。
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そして出雲流庭園。言葉では知っていましたが、大振りな飛石遣い。豪壮な雰囲気。出雲(日本海沿岸)ならではの黒松。真松と呼ぶ樹形の良い松を中心に庭が構成されています。
また、手入れの方法も独特のものがあるそうです。
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庭に入る門の瓦の団子が逆に付いています。昔の出雲地方の建築の特徴だそうです。
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古代出雲歴史博物館の写真はこちら
大社駅の写真はこちら
出雲文化伝承館の写真はこちら

この後、S氏とお別れして、島根県益田市へ移動。特急で2時間です。
島根芸術文化センターGrand Toit は次回。
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by sanrakugarden | 2010-01-13 19:00 | Comments(0)
2010年 01月 13日

仕事初め

12日、ようやく体も馴染んで仕事始めとなりました。
松本市指定史跡庭園の池に水を引くための用水路護岸修復工事です。
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寒い中での仕事ですが、年初より楽しい石仕事。がんばります。
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by sanrakugarden | 2010-01-13 06:55 | 仕事日記 | Comments(0)
2010年 01月 11日

出雲大社

昨夜から目が痛くなって緊急医へ行ってみると、ばい菌が入って化膿しているとのこと。
どうも抵抗力が弱っているようです。
借り物のこの体。いつまで借りていられるかは分かりませんが、せめてお借りしている間、大事にしないといけないものです。

今日は出雲のご紹介。
樹木医で友達になったM氏とS氏が出雲に住んでいらっしゃることもあって、お話を聞くうちにどうしても見に行ってみたいという気持ちが高まっていました。
11時に木津温泉駅を出て、山陰本線を乗り継いで5時間。車窓から見える景色に冬の日本海・山陰の厳しさを実感します。鉛色の空、大陸から容赦なく吹き付ける大風。鳥取の大山(だいせん)の雄大な姿。
飽きることなく、風景を楽しむことが出来ます。
大陸から一番近い場所。日本という国の成り立ちがここから始まったのでは?どんな暮らしをしていたんだろう?と太古に思いを馳せる楽しみ。

急な連絡にも関わらず、M氏夫妻が駅まで迎えに来てくれていました。感激!
ホテルを取ってM氏と居酒屋へ。後ほどS氏が到着。S氏と3人で飲んで、語って、至福のひと時です。
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翌日はS氏が仕事を休んで出雲市内を案内してくださいました。
もともと来る予定になかった山陰。松本に居る時よりは薄着で行ってしまったので、小雪が混じる強風の出雲は想像をはるかに超える寒さと厳しさです。こんなにも寒いとは・・・
出雲大社は平成の大遷宮のため御仮殿での参拝になりましたが、その厳かな雰囲気は行って見ないと分からないものです。
とかく簡単に情報を得られる今日なので、つい写真や文章から分かったつもりになりがちですが、足を運び、空気を感じること、地元の人に接して分かることの方が大事なことが詰まっているように思います。

御仮殿
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神無月(旧暦10月)には全国の神様が出雲に集まって不在になる代わりに、出雲は神在月となるそうです。
出雲大社の中には東十九社、西十九社、と呼ばれる長屋状の長い社があります。ここが神様の会議にやってきた全国の神様の宿泊所とされます。神在祭の期間中、ここにはしめ縄が張られ、祭壇に供物が捧げられ、出雲市内もこの時期注連縄が飾られるとのこと。
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仕事初めにあたる方の多い1月4日でしたので、企業の方々も新年の挨拶に沢山見えられています。
信仰心の薄い僕は、出雲の方々の拠り所となっている出雲大社(地元の方は大社さんと親しみを持って呼ぶ)の存在がとても新鮮に映りました。
喜ばしいことがあれば参拝に、世の中で大変なことがあっても「出雲は大社さんに守られているから大丈夫だった」と感謝されるそうです。

心の底から信頼する。そんな尊い姿を地元の方から感じました。

その後、日御碕を巡り、石作りでは日本一高い日御碕灯台、日御碕神社を参拝し、荒れる日本海を案内していただいたのですが、山陰の冬の厳しさを肌で感じました。想像以上です!
やはり、言葉の中で知っていると感じるとでは、天と地ほどの差があることが分かりました。

頭に浮かぶのはなぜ?この地に「大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)」をおまつりする出雲大社(いづもおおやしろ)が出来たか?ということです。
大国主大神は、「だいこくさま」と申して慕われている神さまです。だいこくさまは、「天の下造らしし大神」とも申しますように、私達の遠い遠い親達と喜びも悲しみも共にせられて、国土を開拓され、国づくり、村づくりに御苦心になり、農耕・漁業をすすめ、殖産の法をお教えになり、人々の生活の基礎を固めて下さったと言い伝えられているとのこと。

宗教が商売と化している神社、仏閣がほとんどのような現在と違い、まだ国の形もおぼろげだった時代に厳しい自然環境で生活を営む人間にとって、まさに「人事を尽くして天命を待つ」ではないですが、やることをやりつくした上で、後は神に祈るしかないという環境があったのではないだろうか?
荒れた日本海、厳しい大陸風。そう思わずにいられないほどの環境でした。

出雲巡りの続きはまた後日。

丹後から出雲大社の写真はこちら
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by sanrakugarden | 2010-01-11 12:45 | Comments(0)