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2010年 01月 18日

大の司馬 遼太郎ファンなのです。「竜馬がゆく」全8巻をあまりの面白さに3回読んで、「坂の上の雲」8巻もあっという間に読んでしまいました。それからというもの幕末の本を買っては読んでいるので、長州・薩摩・土佐といえば憧れの地。いつか行きたいという夢がまずは明治維新胎動の地、萩(長州)から叶いました。

まずは早起きして江戸屋横丁から菊屋横丁までの城下町を散策

いきなり、木戸孝允の旧宅が現れます。
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早く行き過ぎて内部は見られませんでした・・・

高杉晋作誕生の地、晋作が肝試しをしたり伊藤博文が小僧として預けられた円政寺、田中義一生誕の地など歴史上の人物が目の前に居るような錯覚と感動を覚えます。かなり興奮!

そして菊屋家住宅
毛利輝元が関ヶ原の戦いの直後 慶長九年(1604年)輝元の萩入国に従い、現在地に屋敷地を拝領して家を建てた。また城下の町割りに尽力し、阿古ヶ浜には藩士や足軽衆のための家を建てて住まわせたので、それより世上阿古ヶ浜を菊ヶ浜と称するようになった。その後、菊屋家は代々大年寄格に任命され藩の御用達を勤めたという大商家です。

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建物の美しいこと。特に母屋の漆喰塗りの壁は見事です。
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萩を訪れたら、菊屋家住宅は外せません。

次は萩博物館へ。道すがら萩の土壁の瓦の美しさにうっとり。薄さが何ともいえない味わいです。
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博物館では学芸員の方にかねてからの疑問「なぜ、萩にはこれだけの美しい町並みが残ったのか?」
「この地から、明治から昭和にかけてあれだけの偉人が現れたのか?」を訪ねました。

まずは「よく見る、よく聞く、よく話す」
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「見ざる、聞かざる、言わざる」は日光東照宮で見ましたが、長州の教育熱は非常に高く、また当時萩という所は僻地でもあったため教育方針が特に他国(他藩)を良く見て、良く聞き、それを皆に伝えるということを徹底されていたそうです。まだ鎖国をしている最中にイギリスへ長州藩が精鋭を留学させているくらいの熱の入れようです。その連綿と受け継がれてきた風土の中から必然というべき人達が維新の原動力となり、日本の基礎を作り上げてきたことは間違いありません。

そして、町並みが残ったのは
ひとつは夏みかん。今も城下町には夏みかんがあちらこちらに植えられて景色を作ってくれていますが、その当時大変な貴重品であったため、毛利家で推奨して武家の食い扶持の足しにしていたそうです。
毛利は関が原で徳川方にはつかなかっため、禄高を減らされ、萩に追いやられたため家臣を養うたのも必死だったそうです。
夏みかん5個で米1升と交換されたというのですから驚きです。
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その大切な夏みかんの苗木を守るため潮風の厳しい萩では土壁を壊すことなく、町並みとして残されていたということです。昭和30年を境に夏みかんの需要は急激に衰退していったそうです。
時を同じくして衰退していった産業。そう炭鉱です。
炭鉱での仕事は過酷な労働条件で、体力やビタミンを補うため夏みかんは重宝されていたそうです。
そういえば、昔は給食にも出たなぁ・・・酸っぱくて苦手だったけど。

その2は湿地だったということ。
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川や海に挟まれているためなのか?中心地に近い部分は湿地のため、なかなか土地利用が進まず、技術が追いついてきた第2次大戦後くらいから高度成長期にかけて作られた新しい商店や町並みはその湿地だった中心地に作られ、旧城下町は開発を逃れたということ

その3は
明治以降、鉄道網が敷かれた際に、街の中央に鉄道を通さなかったこと。
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その4が
第2次大戦の爆撃から逃れたということ。
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アメリカの公文書が残されていて、爆撃を予定していた180の都市の中で爆撃を逃れた都市が青字で記載されています。157番目に萩、66番目に松本がのっています。
同じ爆撃を逃れた城下町。それにしても松本の町並みは萩を思うともったいない気がします。
そして、京都、広島、新潟、小倉は爆撃の禁止を定められていたということ。
そもそもの原爆の投下予定地であったため、焼夷弾で町を焼いてしまうと、原爆の効果の検証が出来ないため爆撃を禁止されていたのですが、投下予定日の天候不順もあり広島と長崎に投下されたということを知りました。
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萩の人々は、分からないことを尋ねるととても親切に教えてくれます。いろんな街を尋ねましたが萩ほど人を迎える気持ちの温かい街は初めてでした。街や歴史に誇りを持っていらっしゃることを感じました。そして街中を迷わず周れるような工夫も随所に見られ観光都市を見習うならこういうことが大事なんだと勉強させられます。

もうちょっと続きます。

by sanrakugarden | 2010-01-18 17:59 | Comments(0)


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